2007年9月30日日曜日

とうとう最終目的地のカイロです

明日の夜には空港に行かなくては行けないことに気づく
やっぱり1ヶ月は短い・・・

今回は8・9月のインド・ネパールとは違い、トルコからエジプトまで走り抜けたという感じ
数えたら1ヶ月で10都市を通り抜けた(泊まった)らしい
よく動いた


ダハブから
ヨルダンのアカバから船で渡り、エジプトの町ヌエイバからバスでダハブに向かう
バスから見えたモザイク画?
エジプトのバスは途中にチェックポイントが多く、
そのたびにパスポートチェックがあったので起こされた
フルムーン!!
で海に月が反射して、とても明るい
最近のデジカメ(来る前に買った)はこんなに綺麗に撮れるかと感心


久しぶりのシーフード
思えば、イスタンブールで食べたサバサンド以来か?

ダハブはエジプトながらにしてかなり欧米寄りのリゾート地。紅海のダイビングのスポットで有名
けど物価が安いのでこの魚とサラダ・ライス・パン・デザート・シーシャがついて400円ぐらい
安い!!

けど残念ながら昔はベドウィンの村だったところを欧米人向けのリゾートに変えたらしく
エジプトの臭いはしない
これもエジプトの一面か?

次の日の朝
ダハブのまちはこんな感じ
まさにリゾート
昼間は海辺にあるいすで寝る・本を読む・海に入るのローテーションの生活
今までの旅行でこんなリゾート気分を味わったのはないかと思う
けどリゾートでグダグダだったため、特に写真を撮るのを忘れ、あまりダハブの写真はない

ダハブの中心部から30~40分歩くと、リゾートがなくなり現地の人が住む村になっている
子供が逆立ちの遊びをしてた


エジプトに入って突然現れた「コシャリ」
パスタ・マカロニ・ご飯・豆にトマトソースをかけた料理
結構いける
毎日1食は食べている
しかも2~4エジプシアンポンド(=40~80円)
ただ炭水化物が豊富すぎる料理だ

カイロへ移動し、ラマダン明けの6時ごろフラフラ町を歩いているとみんな座ってご飯を待っている
近づいてみるとイスラムの人向けの無料のご飯らしく、なぜかその席に招かれる

最近、お決まり質問の「are you ムスリム??」も受ける
やはりイスラムの人たちはラマダンで日の出から何も食べていないので、ラマダン終了の合図があるまでは
若干イライラしている感じ
フライングして食べている人を見ては「何だ?あいつは?」みたいな顔をしていた

「写真を撮っていいか?」と聞くとみんな「自分を撮ってくれ」とのこと
撮った写真を見せるとみんなうれしそうにしていた


夜にエジプト(イランとかにもあるらしい)の伝統のダンス。スーフィーダンスを見に行く
タブラ・笛・歌にあわせて真ん中のスカートをはいた人がくるくると回る
柄がとても綺麗だ
30分ぐらい回り続けていたけど、目が回っていないのには驚き
とてつもなく強い三半規管の持ち主だ

スーヒィーダンスのあと、フリーライブがあるとのことでハシゴ

アスワンから来たバンドで、アフリカのパーカッション・キーボード・バイオリン・トランペット・ベース・ドラム
から構成するバンドで、歌はもちろんアラビック
メチャメチャかっこよい!!

やはりエジプトの土地柄か、アフリカ・ヨーロッパ・中東のミックスという感じ
ぜひ日本にも来てほしい

子供からお年寄りまでラマダン明けの夜を楽しんでいる感じで、フジロックのフィールドオブへブンよりも
ピースフルな時間が流れていた気がする






朝の3時ぐらいまでお祭り騒ぎに浸っていた次の日、早起きをして気合いでピラミッド観光を決行
パルミラ・ぺトラに続き、灼熱地獄だ
有名なクフ王とカフラー王のピラミッド
自分と比べるとこんなにもデカイ
とにかくひとつひとつの岩がデカイ


世界三大ピラミッドの三つ目のピラミッド
メンカウラー王
なぜか観光客ここは少ない
暑いからみんな省略なのか?ちょっとサイズが小さいし
でも一番崩れずに綺麗に残ってた

まさに砂漠に来たぜ
というテーマの写真

スフィンクス
イギリスにひげをとられ、結構情けない顔になってるらしい
うーん。確かに気が抜けた顔だ

「トリビアの泉」でスフィンクスの目の先には、ケンタッキーフライドチキンがあるというトリビアは
ほんとでした

もうこの時点で暑さで倒れそうになっていたので
このあと、さっさとチキンを食べに行きました

これで今回の旅行のアップはおしまい

あとは最後のイベント : アエロフロートのモスクワ空港12時間待ち

が待っている

今から楽しみでしょうがない・・・

2007年9月28日金曜日

エジプトのダハブでウダウダしてます
いままでイスラエル・ヨルダンにいたためか、物価が恐ろしく安く感じて、
ここは天国か?と錯覚も起こす


ここ2日は・・・

本を読んで→海に入って→本を読んで→海に入って→本を読んで

の生活

本を2冊読み終わるペース
この生活を続けると、社会復帰は難しくなる一方だ

ということで一緒のドミに泊まっているコリアンが明日のカイロ行きのバスチケットを取ってきてくれるとのことで 一緒に動く予定


ヨルダンのぺトラ遺跡から
映画の「インディー・ジョーンズ 最後の聖戦」で舞台になったところ

ぺトラへの道
この岩に囲まれた道を500m歩くとインディー・ジョーンズのところに開ける
まだ薄暗いのは朝の6時ぐらいだから

昼は暑すぎるので、5時起きで向かった
足音と鳥の鳴き声しか聞こえない
岩が開けるとエル・ハズネが!!
今回の旅行の目的の一つだったので感動も大きい

朝早いので、まだ誰もいない状態

下から見上げた図

ぺトラの岩肌

グラデーションが素晴らしい


岩ばかり見ていたので岩フェチになりそうだ


円形劇場


とりあえず円形劇場はどの遺跡にもある


古代の人は劇場が大好きらしい

写真じゃわかりづらいかもしれないけど、上のほうに野球場にあるVIP席らしきものが


すでにVIP席はあったらしい


ベドウィンの少年


ケーブに暮らしているとのこと


観光客目当てにドンキーを貸すらしい

朝早いので、眠いのか売込みがほとんどなく、世間話をして終わる


やっと日が出てきた


日の出


地面撮りをしたら、面白い画が撮れた



さらに奥に進むと山道に


太陽が出てきたので一気に気温が上昇


きつくなる



まだまだ到着は先と思ってたら、ふと見たら到着していた


エル・テッド

エル・ハズネよりも大きめ


結構風化が進んでいる

こっちの岩は触ると砂になりやすい

風に当たってかなり削れたのか?


エルテッドのさらに奥に進むと、VIEW POINTがあるとのこと

ほぼ遺跡めぐりがトレッキングになってる

VIEW POINTに到着


ヨルダン国旗がカッコよい


ここが頂上だ!!

下を覗くとすぐ崖になってた



帰り道。ドンキーに遭遇

水が重たそう
ただ足取りはしっかりしてた

ぺトラを上から見たところ


完全に太陽が出てきたので暑くなってきた



まだほかにも4つの墓が残っていた



ここもかなり凄いと思うが、暑さが半端ない・・・

意識が朦朧とする

オマケ写真

コーラを飲んだらターバンをアラファト巻きにしてもらった


2007年9月27日木曜日

イスラエルのつづき


イスラエルで印象に残っているのはへブロンという町に行った帰りの乗り合いタクシーの中で
乗ってきたパレスティナ青年の言った事


最初はごく普通の会話だったけど、途中で一緒に周ったオーストリア人が
ユダヤ人とパレスティナ人の関係について聞き出した
特にへブロンは町の中で完全にイスラム地区とユダヤ地区が分断されているので、そのことについて


オーストリア人:「ユダヤ人と平和に解決する方法は無いのか?」


青年:「ない」


オーストリア人:「解決法には何があるか?」


青年:「戦争だ」


日本人:「それでは人がたくさん死ぬけど良いのか?」


青年:「今までパレスティナ人はイスラエル人にたくさん殺されてきた。これ以上の話はノーコメントだ」


こう言い、去っていったのは強烈に印象に残った

聖墳墓教会にもう一回行った

ここがキリストが最後に十字架にかけられた場所だ

ここがそうらしい
その後、岩のドームと嘆きの壁が両方見渡せる場所に行く

嘆きの壁は9・11以降イスラム教以外の人は入れなくなってしまったらしい(敷地には入れる)

この二つの宗教がケンカをしなければと思う


へブロンで子供を拘束しているイスラエル兵を発見

近くに行ってみると、子供に対してボディーチェックをしていた

へブロンの街中にはこんな感じのチェックポイントが山ほどある(イスラム地区とユダヤ地区の間に)

基本的に観光客(パレスティナ人以外)はパスポートチェックでスルーできるが

パレスティナ人が通過するのはできないと思う

ちなみにオーストリア人の彼が壁に隠れて、隠し撮り中

ユダヤ地区にはイスラエル兵士がわんさかいる

住んでいる人よりも多いと思う

常に警戒態勢

装甲車もきた

監視塔

イスラエルの旗がなびいてた

またまた強烈なメッセージだ

1929年に起こったへブロン事件のことだと思う

たぶん子供が書いたと思う

イスラエル兵が真ん中にいて、みんな仲良くといった感じ

ちょっと子供が書いたと思うと恐ろしいかも

となりには空爆の絵が描いてあった

うーん

ユダヤ地区はゴーストタウンになっている

もとはパレスティナ人のシークだったところをイスラエルが制圧したため、

全部店は閉められている

一見普通な写真だけど看板はアラビックで書かれっている

もとはパレスティナ人の店だったのだと思う

でもシャッターには、ユダヤ教のダビデの星がスプレーで描かれている

ユダヤ地区側のチェックポイント
またチェックポイントだ

チェックポイントを出てイスラム地区サイドに行くとこんなメッセージを描かれた石を発見


FREE PALESTINE

ZIONISM IS RACISM
イスラム地区に出るとまったくの別世界が
活気にあふれたシークになっていた
もとはユダヤ地区もこんな感じだったんだと思う

前の日に通った「壁」を通らざるおえなくなった
描かれているグラフィティをよく見ると、すごいメッセージ性のあるグラフィティになっていた
かなり大きなグラフィティ

to exist is to resist
viva palestina libre abajo el nuro facsista

と読める(間違ってるかも・・・)

ETA

bietan jarrai


palestina euskal herria bi herri bide bakarra


i am not a terrorist

palestine basque country

must be free!!

american money israeli apartheid

israeli occupation

夕飯を食べた後、散歩がてらオリーブの山を登りに行く
予想以上に登山
けど旧市街を見渡せるすばらしいところだ
我ながら、夜景にもかかわらずぶれていない上出来な写真だ!!

次の日のイスラエルからヨルダンのボーダーでのポスター

懸賞金の額が半端ない

帰りのイミグレでは、何のいじめ(3.4時間待たすなど)もなくすんなり通過

イスラエル終了