久しぶりの日本語だ!!
やったぜ!!
今はボスニアヘレツェゴビナのサラエボです
ベオグラードに比べてちと寒い
が、花粉症はないので快適だ
ただ大きなミステイクを犯してしまった
ボスニアのATMで500KM(5万円程)をおろしてしまった!!
2日酔いでバスに揺られた疲れか、桁を1桁間違えた!!
オーマイガッ!!
しかも銀行は月曜まで閉まっているので待つしかない
ボスニアで5万はやりすぎだ・・・
とりあえず今までの経過を
2月27日
ベオグラード
ベオグラードステーション 宿から
駅前かつ6階なので眺めは良い
宿にてMUSEとチリペッパーズとビースティーのポスターを発見!!!
全部見てる!!(ベオグラードの後に日本に来たツアーにて)
夏にはオールジャンルのフェスがあるとのことで、めちゃくちゃ楽しいらしい!
ベオグラードは音楽が熱い
ピッツァ!!
あえてピザと呼ばないでおこう
とにかくベオグラードの若者は昼はピッツァかサンドウィッチだ
70DIN(140yen)
公園でストリートバスケを発見!!
駒沢ストリート出身だけに道場破りをしようかと思ったが、セルビア出身にはスコヤコビッチなんかの3Pがいるので
今回はやめておいてやろう・・・
結構イカツイのが多し
こわっ!!
2月28日
ベオグラード
日本のマックではありえないメニューを注文
無駄に野菜摂取に気をつかう
しかしこのサラダのドレッシングのブルーチ-ズが意外といける!
これで140DIN(280いぇん)
あんまり安くない
コーラの140円は高いでしょう・・・
クネズ・ミロシュ通り
ここはNATO軍が集中的に空爆した通り
重要な建物が集まっていたかららしい
まだ空爆の跡は残っている
それにしてもすごい壊れかただ
ちなみにあとで聞いたけど、日本大使館も空爆されたらしい
誤爆らしいけど
ほんとはどうなのか?
この通りには、今は大使館が並んでいる
ネットのニュースでアメリカ大使館が壊されたとのことで行ってみると
早速壁にコソボの文字が!!
アメリカ大使館到着!
厳重な警戒態勢の臭いがプンプン
おや?
壁に燃えた跡が!
火炎瓶でも投げたのかな?
横の壁の燃え方もすごい
ポリスの車と軍の車も常駐らしい
窓ガラスが割れている
投石したらしい
やはりコソボの反感は強いのか?
クロアチア大使館もすごいことに
比較対象としてミャンマー大使館
いたってPEACE
大使館前には大使館の人のと思われる高級車ベンツも無傷で止めてあった
客は独りもいない
格好よくエスプレッソを頼む
このマスター
かなりいい奴
アメリカ大使館に近いけどどう?
ってきいたら、色々教えてくれたが、もう一人客きたらひそひそ声に
やっぱり民族で意見が違うからなのだと思う
最後に写真をパチリ
ベオグラード日の入り
チェバプチチという名物とウェイターが勧めたパプリカのサラダをいただく
チェバプチチはトルコのケバブだ
宿の奴が言っていたけどここらへんは500年もトルコのスレイブだったからその文化も強いらしい
流行っている音楽もトルコミュージックとのこと
ディバッツ発見!!
やっぱり奴はセルビアの英雄だ!!
事件発生!!
宿に帰ると隣の部屋からなにやら音が!!
絶えられずリビングに行き、レッドツェッペリンのライブのTVを爆音で聞き、ビールを飲んでことが過ぎるのを待つ
としていると宿のオーナー登場!!
ラキア(プラムから作ったウォッカよりも強いお酒)を手に
宴会突入!!
オーナー激写!!
she is my girlfriend!!
no!
that is joke
she is his girl friend.
わお
BEAUTIFUL!!
ヤバイゼ
お前はファッキン・クレイジー・ジャパニーズだ!!
を連呼
ラキア飲みすぎ!!
すげぇー
2月29日
ベオグラードからサラエボ
ミランの弟
こいつもいい奴
またコノ宿に来ることを約束して、別れる
サラエボ!!!!
今回の旅行で初の雪だ!!!
3月1日
サラエボ
サラエボ
カラフルなトラム
コノ町の旧市街はカトリック・東方正教会・ムスリム(また出会う)・ユダヤ教が混在しているから
なんか不思議な雰囲気
ただ町を出ると地雷が埋まっているのが普通らしい
第一次世界大戦のきっかけになったサラエボ事件の現場
橋の袂でオーストリアの人が撃たれたんだっけ?
教科書で習ったからすごく大きい橋とおもいきや・・・
かなりちっちゃい
しかもいまは誰もそのことを気にする様子も無い
サレエボのアメリカ大使館も襲撃されたとのことで行ってみる
何も壊されてはいなかったけど、ライフルを持った警官が厳重警戒
カメラを向けたら危険な雰囲気なので隠し撮り
おぉ
デモだ
今日はボスニアの祝日だからか?
コソボではないらしい
なんか平和な雰囲気
1984年のサラエボオリンピック競技場
その裏にはサラエボで戦死した人の墓がずらり
大体1992年前後の人ばかりだ
こんなに人が亡くなったと思うとぞっとする
明日モスタルへ行きます!