2007年9月27日木曜日

イスラエルのつづき


イスラエルで印象に残っているのはへブロンという町に行った帰りの乗り合いタクシーの中で
乗ってきたパレスティナ青年の言った事


最初はごく普通の会話だったけど、途中で一緒に周ったオーストリア人が
ユダヤ人とパレスティナ人の関係について聞き出した
特にへブロンは町の中で完全にイスラム地区とユダヤ地区が分断されているので、そのことについて


オーストリア人:「ユダヤ人と平和に解決する方法は無いのか?」


青年:「ない」


オーストリア人:「解決法には何があるか?」


青年:「戦争だ」


日本人:「それでは人がたくさん死ぬけど良いのか?」


青年:「今までパレスティナ人はイスラエル人にたくさん殺されてきた。これ以上の話はノーコメントだ」


こう言い、去っていったのは強烈に印象に残った

聖墳墓教会にもう一回行った

ここがキリストが最後に十字架にかけられた場所だ

ここがそうらしい
その後、岩のドームと嘆きの壁が両方見渡せる場所に行く

嘆きの壁は9・11以降イスラム教以外の人は入れなくなってしまったらしい(敷地には入れる)

この二つの宗教がケンカをしなければと思う


へブロンで子供を拘束しているイスラエル兵を発見

近くに行ってみると、子供に対してボディーチェックをしていた

へブロンの街中にはこんな感じのチェックポイントが山ほどある(イスラム地区とユダヤ地区の間に)

基本的に観光客(パレスティナ人以外)はパスポートチェックでスルーできるが

パレスティナ人が通過するのはできないと思う

ちなみにオーストリア人の彼が壁に隠れて、隠し撮り中

ユダヤ地区にはイスラエル兵士がわんさかいる

住んでいる人よりも多いと思う

常に警戒態勢

装甲車もきた

監視塔

イスラエルの旗がなびいてた

またまた強烈なメッセージだ

1929年に起こったへブロン事件のことだと思う

たぶん子供が書いたと思う

イスラエル兵が真ん中にいて、みんな仲良くといった感じ

ちょっと子供が書いたと思うと恐ろしいかも

となりには空爆の絵が描いてあった

うーん

ユダヤ地区はゴーストタウンになっている

もとはパレスティナ人のシークだったところをイスラエルが制圧したため、

全部店は閉められている

一見普通な写真だけど看板はアラビックで書かれっている

もとはパレスティナ人の店だったのだと思う

でもシャッターには、ユダヤ教のダビデの星がスプレーで描かれている

ユダヤ地区側のチェックポイント
またチェックポイントだ

チェックポイントを出てイスラム地区サイドに行くとこんなメッセージを描かれた石を発見


FREE PALESTINE

ZIONISM IS RACISM
イスラム地区に出るとまったくの別世界が
活気にあふれたシークになっていた
もとはユダヤ地区もこんな感じだったんだと思う

前の日に通った「壁」を通らざるおえなくなった
描かれているグラフィティをよく見ると、すごいメッセージ性のあるグラフィティになっていた
かなり大きなグラフィティ

to exist is to resist
viva palestina libre abajo el nuro facsista

と読める(間違ってるかも・・・)

ETA

bietan jarrai


palestina euskal herria bi herri bide bakarra


i am not a terrorist

palestine basque country

must be free!!

american money israeli apartheid

israeli occupation

夕飯を食べた後、散歩がてらオリーブの山を登りに行く
予想以上に登山
けど旧市街を見渡せるすばらしいところだ
我ながら、夜景にもかかわらずぶれていない上出来な写真だ!!

次の日のイスラエルからヨルダンのボーダーでのポスター

懸賞金の額が半端ない

帰りのイミグレでは、何のいじめ(3.4時間待たすなど)もなくすんなり通過

イスラエル終了